風俗おしごとコラム
今と昔の性風俗産業について
性風俗産業はいつから?
昨今、援助交際なんて言葉が問題視され、性の乱れが社会問題になっています。
「今時の若いもんは・・・」などとボヤかれる年配者もいらっしゃるかもしれませんが、その年配者も青年時代は「今時の若いもんは・・・」と言われていたかもしれません。
そんな言葉が繰り返し言われ続けてきた時代背景はどうだったのかを、現代から江戸時代までさかのぼり見ていきましょう。
実はお盛んだった江戸時代の男女関係
昔は男女の性的関係をいっさい持たず、女性は処女を守る時代かと思いきや実はそうでもありませんでした。
さかのぼると鎌倉時代から国家の収入を管理するため、以前からあった遊郭(ゆうかく、「政府が運営管理する性風俗を扱う場所」)を微税の対象とするべく国家統制を受けるようになり、それまでは風俗と類似するものはなく「夜這い」(よばい)が公然と行われていました。
室町時代には、足利氏により傾城局(けいせいのつぼね)という役所を作り完全な政府直轄の遊郭となっていき、性が盛んだった江戸時代へと時が流れていきます。
では、江戸時代の人達は、どんなふうに男女関係を深めていたのでしょうか?貧困から我が娘を売る、こんなシチュエーションは時代劇でよく見ます。
さて売られた娘の行く先は?大抵は遊郭などに連れていかれます。今のような貞操観念がなく、しかも都会では慢性的な女性不足でしたので、性風俗産業が繁盛した始まりです。
明治以降より、西洋文化のキリストの教えが広まり、現代のように性に閉鎖的で貞操を守るようになりました。
それまでの江戸時代の人々はおおらかに男女関係を楽しんでいました。婚前交渉も当たり前で、女性の初体験の平均年齢は15歳~16歳くらいだったと言われています。
昔の風俗店やそれに準ずる各種商業等の歴史を順に解説
江戸時代
・花魁(おいらん)は庶民が手を出せない桁違いの金額
遊郭の最高位である「花魁」は、一晩お相手していただく料金も数十万円と最高額でした。しかも、数十万円とは「その場に行くことができた人」が支払う金額です。
一度立ち寄っただけではすぐにことが始まるなんてことは無く、最低でも3回は通わなければなりませんでした。
せっかく訪ねても、花魁の機嫌が悪ければ簡単に帰されてしまいます。花魁に関連するお店などでも派手に遊ばなければリピーターとして認められず、花魁の元へ行くためには現在のお金で400万円~600万円程度は必要だったとされています。
ただ、どんなにお金を積んでも平気でフッてしまえるのが花魁の立場でした。豪商、大名、殿様だろうが花魁の前では関係無かったのです。
・局見世(つぼねみせ)は庶民が奮発して楽しむ売春宿
豪商や大名ではない庶民が、給金を握り締めて通うのが「局見世」です。一般的な長屋形式の売春宿で、中の遊女をチェックし、気に入った娘を買っていくのです。局見世は主に、今日はちょっと奮発する思いで来た庶民の男性でいつも賑わっており、料金設定や遊女の質は店によって違い、自由に設定することが可能でした。
・夜鷹(よたか)は悲しき売春婦
時代劇でも時々取り上げられる「夜鷹」は、現在で言う「立ちんぼ」スタイルで、夜道を歩く男性に声を掛け安価で売春を行います。年齢層は10代から70代と幅広く、活動範囲も全国的でした。
安い夜鷹だと、1回がお蕎麦一杯程度の金額です。安い局見世などで働いていた遊女が、加齢や病気で夜鷹に落ちてしまうケースもあり、性病などにかかる率は高く、しかも河原や林の中などに持参したゴザをひいて男性の相手をしていました。
・意和戸(いわと)は賑やかなストリップ劇場
ほったて小屋の中で女性が陰部をあらわにする、現代でいう所のストリップ小屋が「意和戸」です。
女郎上がりの女性が豪華な打掛(うちかけ)をまとい、男性客の前に出てきて脱いだり性行為を見せたりし、「それ吹け、やれ吹け」と男性客が場面に合わせて掛け声を発っします。
階級や種類のあった江戸時代の遊女たち
吉原だけではなく、普通の街中でも売春で生計を建てている女性たちは多く存在していました。東海道などの有名街道の宿場の宿や飯屋には「飯盛女(めしもりおんな)」や「宿場女郎」という遊女が待機しており、旅人の疲れを癒す存在でした。
戦時中
・戦争と風俗の関係性
戦時中「贅沢は敵」という考えのもと風俗なども規制されていたという見方もあり、風俗業界自体がなかった?と思いがちですが、実は全く違います。戦時中でも風俗の仕事は盛んに行われていました。
時折、マスコミに取り上げられている「慰安婦」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか?慰安婦というと性奴隷というようなイメージがありますが、この慰安婦はもっとも尊敬された呼び名だったんです。
慰安婦とは、兵隊のための風俗という意味で「戦時売春婦」と呼ばれていました。この慰安婦というのは基地の近くには必ず存在しました。やはり性欲が旺盛な時期の若い男性が集められるわけですから、その性欲のはけ口として存在していました。
性欲が暴走しレイプ事件や殺人事件にならないように、慰安婦がいたとされています。慰安婦は、れっきとしたお仕事でお給料も高く、相手をする男性も若い鍛え抜かれた男性ということから、とても人気のあった仕事です。
当時は売春が認可されていた時代でしたので、本番行為のサービスは行われましたが、慰安婦への敬意を示しコンドームの着用なども義務付けられ、望まない妊娠もほとんどありませんでした。
・慰安婦の文化が色濃く残る街
慰安婦の文化が色濃く残る街が現在もあります。軍隊収容施設の近くには兵隊の相手をする慰安所や遊郭がたくさん存在していました。風俗街で有名な地域には旅館として運営している遊郭もあります。
沖縄も最後まで戦地であったため慰安婦の文化が残っており、今でもソープランドや風俗街として栄えていますが、やはりもともとは兵隊の慰安所として栄えていた場所です。
このように男性が集まるところには確実に風俗ができます。戦争と風俗は関係ないように見えますが、実は密接な関係がありました。
戦後
・トルコ風呂からソープランドに改名
本来、トルコ風呂は同性の健全な大衆浴場・サウナ・マッサージを示します。トルコのマッサージは女性が男性に健全なマッサージを施していたのですが、日本ではそのマッサージが性的イメージで伝えられ、トルコ風呂と命名されました。
最初は手で男性器に刺激をあたえる「手コキ」が流行でしたが、次第に「本番行為」を行う店が多くなり、更にお風呂の特徴を活かし、性交だけでは飽きたらず「アワ踊り」「マットプレイ」などの技が次々に開発されていきました。
しかし、本来のトルコ風呂は上記の通り健全なマッサージなので、トルコ側から講義があり、ソープランドに改名されました。
・ピンクサロンは合法的な飲食店
法的には飲食店であり酒類を提供する場所です。店内は個室ではなく簡単な間切りにテーブルとソファーが置いてあるだけで、お酒やソフトドリンクを提供した後に性的なサービスを行うものがピンクサロンです。
昭和52年頃に流行となり、格安で性的サービスが受けられることから、東京・大阪を中心に日本全国へと広がりました。
・ノーパン喫茶は従業員が下着を履かない喫茶店
昭和55年頃、一見よくある街の喫茶店に、男性の行列ができるようになりました。女性従業員の上半身はトップレスで、下半身はノーパンにパンスト着用にミニスカート。見えそうで見えないという典型的な衣装が行列の理由です。
店内をノーパンの女性がウロウロ歩いているわけではなく、1杯2000円~3000円のコーヒーを注文をしないと女性は近くに来てくれませんでした。おさわりはNGなのでスカートをめくることはできませんでしたが、多くの店の床が鏡張りだったので、スカート内を鏡越しに覗きやすくしていました。
本当にコーヒーを飲む以上のサービスはないはずなのに、男性は行列に並んででも必死になって通っていました。その後、次々と過激なサービスをするお店が多くなり、パンストさえ着用しない正真正銘のノーパン喫茶が出始めました。
細い布を割れ目に貼り付けるだけの「前貼り」ならぬ「スジ貼り」のウェイトレスまで登場したことで、もう警察は黙ってはいられなくなりました。陰毛の露出すら許されていない時代ですので、「スジ貼りは女性器こそ出てはいないが、陰毛を剃っても2~3時間後には陰毛は生えてくるので剃ったとしても陰毛がある」ことを警察は主張しました。
それに対し店側は引き下がらず、警察との論争を繰り返しましたが、昭和60年の風営法改正によりノーパン喫茶は姿を消しました。
・ノーパンしゃぶしゃぶはノーパン喫茶の進化版
ノーパンしゃぶしゃぶは女性が上半身トップレスで、下半身はミニスカートにて接客するしゃぶしゃぶ料理店です。類似するサービスを提供するものとしてはノーパン喫茶がありますが、違いとしては高い位置に吊るしてあるアルコール類を設置することで、女性がそれらを取ろうとして立ち上がった時に覗き見をするシステムです。
酒類以外には松阪牛やフォアグラなどを提供しており、料金は2時間で2万円前後でした。昭和63年に、銀行員が大蔵省の官僚に対しノーパンしゃぶしゃぶ店で接待を何度も繰り返し行っていたことがマスコミに暴露され問題となりました。
一般的な風俗店でなくこのような店を利用していた理由としては、ノーパンしゃぶしゃぶは飲食店扱いだったたので風俗店とは違い飲食費として領収書が切れました。接待問題発覚後は、官僚の一人が自殺に至ったことから、当該店は公然猥褻罪で警察の摘発を受け、ノーパンしゃぶしゃぶは姿を消しました。
・ホテトルはホテルトルコの略
ホテル+トルコ風呂が略されホテトルと呼ばれていました。特徴としては携帯電話のない時代にお店との連絡手段として、公衆電話ボックスが多く利用されていました。公衆電話ボックス内に無数に貼られているピンクチラシに書かれた電話番号へお客が連絡し、お店は電話受付後に所定のラブホテルへ女性を派遣し、性行為をさせていました。
店舗が不要で資金をほとんどかけずに開業できるため、急激に店舗数が増えましたが、ほとんどがホテルで売春行為を行わせる違法なものだったので、取締りが厳しくなっていきました。性行為だけを行い料金も安いことから利用者は多かったのですが、無許可営業でラブホテルへの派遣をおこなっていた為に売春斡旋行為となり、取締りの対象となりました。
しかし、お店の電話番号は転送になっていたり、電話番号もすぐに変更されたりと、なかなか摘発に至りませんでした。また、大量に貼られた電話ボックスのピンクチラシも周囲の環境を害すことから社会問題になりました。
そこで、電話ボックスのビラを貼る違法行為を取り締まると同時に、貼っている人間を逮捕し、それを管理する主犯者を検挙することで取り締まりを強化していきました。
今現在は携帯電話が普及し公衆電話自体が少ないのでホテトルはほとんど存在せず、代わりにスマートフォンなどからインターネットサイトを通じホテルで性的行為を行う合法的なデリバリーヘルスが普及してきました。
・性感エステはリンパマッサージ+手コキ
女性が男性客に性感マッサージを行うお店です。疲労回復のための本格的なリンパマッサージをしたのち、手コキでの射精が行われます。ヘルスとの違いと言えば、ヘルスは男性客が受け攻めどちらでもできますが、性感エステでは基本的に男性客は受け身の体勢でサービスを受けます。
性感は癒しと性欲を満たすためのお店なので、お客から積極的に女の子に触る行為を禁止しています。
店舗を構えて営業しているお店は少なく、主に出張エステなどデリヘルのように無店舗型での営業が多いので、自宅やホテルにマッサージ師を呼ぶような感覚で呼ぶことができるのがウリです。
疲れていて動きたくないけど性欲もたまっているという時に、エステマッサージと性感を両方受けながら気持ち良くなれるということで、疲れ気味のサラリーマンなどに人気です。
ちょっと笑える、おかしな昔の避妊方法
江戸時代の人の避妊方法
人類の歴史の中で、「避妊」というのは大きなテーマです。高度な避妊法が確立されている現代においても、若い男女が十分な知識のないまま性行為をし、望まない妊娠をしてしまうというケースは少なくありません。
妊娠についての科学的な知識の乏しかった江戸時代には、迷信に近い方法も含めかなり幼稚な方法がとられていました。
とにかく洗えばなんとかなる
膣内に入った精子を洗い流せば妊娠しないと考えられていました。現代でもこの方法をとっているカップルがいるようですが、実際には膣内で射精された精子はすぐに子宮内に泳いでいってしまいますので、行為の後でいくら洗浄しても間に合うことはありません。
江戸時代にはそうした知識がなかったために、とにかく遊女たちは洗っていたのです。遊郭の浴室やトイレには洗浄用の場所が設けられていました。この方法は、一般の家庭でもとられており、子どもを望まない夫婦や未婚のカップルは行為の後にマメに洗っていたようです。
コンドームはあるにはあったが・・・
男性用に「甲形」(かぶとがた)というべっ甲でつくられた道具がありました。ペニスに装着してその内部で射精する装置ですが、べっ甲でできていたので装着感はとても悪く、実用には向いていませんでした。
もっぱら「大人のおもちゃ」として遊女相手に活用されてたようです。その他に、魚の浮き袋をコンドームのように用いていたとも言われていましたが、強度がないため、行為の最中に破れてしまうリスクはかなり高かったようです。
ペッサリーもあった
「詰め紙」と呼ばれる柔らかい紙を女性器の奥に丸めて挿入し、精子の侵入を防ぐという方法で「上げ底」とも呼ばれていました。
精子の侵入を防ぐという意味では一定の効果はあったと考えられますが、妊娠を絶対に回避できるほどの確実性はありませんでした。
避妊薬もありました
「朔日丸」(ついたちがん)という避妊薬があり、毎月1日に飲むと妊娠しないとされていました。 江戸時代後期に流行った薬ですが、まったく効能はなく、ほとんどサギに近いものでした。
お灸で避妊
江戸時代には、2月2日におへその下にお灸をすえると妊娠しないという説が信じられており、遊郭・女郎屋などでは、毎年この日になるとみんなでお灸をしていたと伝えられています。
江戸時代の性に関する倫理観は現代以上に緩やかなものだったと言われ、「処女を守る」などの、お堅い感覚を持っている女性はいませんでした。そのため、簡単に性行為に及び、結果としてかなり高い確率で妊娠をし、中には中絶をせざるを得ないケースも多くありました。
半永久的に続く性風俗産業
今後の風俗は、2020年にやってくる東京オリンピックを機に国家が実施する「東京オリンピックの前に街を浄化する」という大義名分の元、違法店は完全に排除され、優良店のみが残ることになるでしょう。しかし、昔からいろいろな性産業が時代の背景と共に産まれ、時代の流行と共に変化をしてきました。
今日、いつの時代にも男女が存在する限り、性風俗産業は営業形態を少しずつ変化しながらも半永久的に続く、終わりのない性風俗産業と言えるでしょう。
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